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鳥たちの夏

  この春も,公園東端のヒマラヤスギの梢でカラスの雛が生まれて、丁度いま危なっかしい足取りで、フェンスを渡っている。
カラフルな滑り台横のシイノキの洞に、今年初めてシジュウカラが雛をかえして親鳥が忙しく出入りしていた。
ここ数日雛たちの鳴き声が大きくなるにつれて、いたずらされはしなないかと気掛かりだったが、昨日今日と親鳥の姿も、雛たちの鳴
声 も聞こえなくなった。 
生まれてからそう日数が経っていないので巣立ったはずはないのにと色々悪いことばかり想像してしまい、爪先立って巣の 中を覗く
気にもならない。
近頃、キャットフードに味をしめたムクドリのグループは大騒ぎしながら公園のテーブルに通い詰めている。
彼らの警戒範囲は5〜6メートルのようだが、しかし、一方では愛犬の鼻先30センチの至近距離でもきょろきょろと爪先立ったような姿
勢でかまわず餌を漁っている、濡れた頭の固体もいる。 どう見ても幼鳥ではないようだが、いかにも無警戒すぎる。
どこか遠くのほうからギヤーギャーと鳴き交わす声が聞こえてくるのはオナガ達で、彼らは緩い群れを作りながら自由気ままといった
風に流れていく。  利巧で好奇心旺盛なオナガたちだ。
   リードを持ちながら坂道を下っていると、空から雑巾のようなものが目の前に降ってきた。
ヒヨドリがもつれながら落ちてきて、驚いていると、四本の肢でコンクリートをぎゅっとつかむようにして飛び立っていった。
この鳥が争っているのをよく見かけるのは気性が荒いのかもしれない。
   まもなく入梅するだろうここ横浜は今朝もどんよりした雨空、近くの屋敷林は乳色の靄の中である。
今年の夏、この街にカッコーは来るのか。 心待ちにしているのだが去年はついに来なかった。 
今日から6月、暫くはヤキモキする朝が続くことになる。
                                                                      (2006/06/01)

  

山笑う頃

   やっとこの時期らしい天候になった。
ゴールデンウイークの山野は、植物の若葉が発散する水蒸気で薄いベールの中に見えている。
こんな景色を、「山が笑う」と形容して色々な歌や文章に読まれてきた。
私は、最初にこの時期の山野の様子を「山笑う」と形容した人を心から尊敬してしまう、一種の天才かもしれない、思いつきでポッと出
る言葉ではないと思うからである。
言葉にこだわったこの人は、あらゆる言葉を駆使してあ-でもない、こ-でもないと思いつく限りの言葉を考えてみて、この言葉にいき着
いたのだとおもう。
その瞬間はポンと膝を叩いたかどうか知らないが、「山笑う」とは誠に言い得て妙である。
およそ言葉に無頓着の若者といえども、この時期こんな言葉があることを景色でも眺めながら話せば、ホーとかなんとか相鎚を打ちな
がら解ってくれるに違いないと思う。
絵文字のような文字で通信している若者にしてもである。
                                                                   (2006/04/30)

 

S君のこと
  

今年の選抜大会は初日に雪がちらついたり、雨のため延期になったりしずいぶん振り回されたりもしたが、幸いにして吾が末子の野 球部は優勝旗を持ち帰ることが出来た。
  私には、小学校5年の頃S君に犯した心の重荷があった。 
ある 練習試合でSはヒットを打って二塁ベースに滑り込んだ。 
Sはそのままの姿勢で両手の砂を払いながら高揚した笑顔で応援席に 答えていた。  
「速く立てツ」突然怒鳴られたSは驚いて目を見開き、その顔が引きつった、そしてSの目にはみるみる涙が溢れてきた 。  
優しく大切に育てられた子供に楽しい野球で恐怖心を与えてしまった。  
其の様子を見て、優しい言葉で教えてあげられなかった私は狼狽した。
回がすすみSに再び打席が廻ってきてSはヒットを打って一塁ベースを駆け抜けた。
私は大きなジェスチャーで拳を振り上げてアウトを宣した。  
Sは驚いた様子でベンチに戻ったのだが目には涙が溢れていた。
私は日頃は明るいSの様子を見て、自分が間違ってジャッジしたのだろうと思い困ってしまった、そして試合後アンパイヤーに其のこと
を尋ねた。  
「福田さんがジャッジしたとおりでいいです」と言う答えだったが、たとえそれがミスジャッジであったとしてもという語句が隠され ている
ようで、私の気持ちは晴れなかった。 
   そんなSは吾が末子と共にシニア、高校と同じチームでプレイしてきた。  
Sはこの選抜大会で打撃不振に陥った吾が末子に代わっ て、3回戦から四番打者として打席に立ち、驚くほどの活躍をし又副キャプ
テンとしても末子をサポートしてくれていることを聞くに 及んだ。  
其のことを聞いたとき、わたしは息子の降格を忘れるほど心底嬉しかった。  
   これまでのSを見る私の目は不憫な子を見る親のまなざし其のも のだったような気がする。
この選抜大会が終わった今、すっきりした気持ちで「おい、調子はどうだ?」と声をかけられそうな気がしてい る。
                                                                       (2006/04/06)

  
仮の歯

  満開の梅の木に,二羽のメジロが来ているのに気がついた。
「チュー、チュー、チュー」と鳴き交わしながら、花の蜜を吸っている。
枝先に止まり、下から肢を伸ばして背伸びをするように花をのぞきこんだり、頸を折ったりして、せわし気に蜜を吸い、お互いの距
離と安全を確かめるため絶えず小声で鳴き交わしている。
私はそんなメジロの楽しげな様子を眺めていて、ふつふつといたずら心が湧いてきた。
この楽しげなニ羽の間に、優しいメスの鳴き声を聞かせるべく得意の口笛を吹いて、二人をあわてさせようと思った。
ところが、唇を作って息を吹いても、ただ歯間を抜ける「シューシュー」という呼気の音だけがするだけで、起き抜けのぼけたくちびるであるということを差し引いても全く音が鳴らない。
この時まで 忘れていたのだが、今治療中で仮に挿してあった上あごの門歯が二日ほど前に脱落して、再度新しい仮歯を作って
挿してもらったばかりであった。
食事や会話などには何の差支えもないので忘れていたのだが、口笛など微妙な形を作る必要がある時には、口腔内のちょっとし
た変化が大きく作用するのである。
「シューシュー」という音をを聞いて吾ながらがっくりした。
子供の頃、潅木の下に寝転んでで小鳥を鳴き寄せて楽しんだ頃のようには、イギリスのテムズ川畔にあるという世界一の技術を
持つ歯科医の手によってしても、戻れまいと思いつつも、いつの日かせめてメジロのオスメスを鳴き分けて、いたずらできるくらい
までには戻りたいと思っている。
ということで、私の門歯には見栄えのワルイ仮歯が挿されているということを再確認させられた、今朝の散歩でした。
                                                                       (2006/02/28)

フキノトウ

  大げさに言えば今は厳寒期、だが今年はここ数日暖かい日が続いている。
吾がボロ家の玄関脇に泥まみれの芽を出したフキノトウを、五六個採って来たワイフが、天ぷらにして夕食に添えてくれたのは、
もう三週間ほど前で、娘に勧めると、眉間にしわをよせながら食べてみていた。
  毎朝の散歩コースにあるテニスコートの北斜面に、まだらに残っていた雪も二日前に溶けて、水分をたっぷり含んだ黒々とした
土が朝日を浴びている。
斜面を見透かすと緑色をした若草が揃い出て、陽春が近いと思うとワクワクしてしまう。
ここにはハト、ツグミ、カラスなどが餌を漁ったり、斜面のくぼ地に溜まった水を飲みによくやってきます。
しかしわたしが、一番気にかけているフキノトウが、今年はまだ姿を見せていません。
フキノトウは気がつくと、瞬く間にその数を増やして黄緑色の葉を四方に開いてしまい、誰もがフキノトウが伸びた姿だとは思はなく なります。
そして花が終わる頃には、そこかしこに小さなフキがあの丸い葉を広げています。
でも今年は何かあったのだろうか、フキノトウが芽吹かない。
フキノトウ無しでフキが繁ることは有るのだろうか。
暫くは観察を続けてみようと思います。

(2006/02/03)
「若草台」と言う名のバス停

 若葉台バス停の近くの貸家に住み始めて7〜8年になるはずだ。
東急田園都市線の青葉台駅からバス停では五つ目、歩けば私の足で20分弱、駅から北方向、傾斜の緩やかな坂を登りきったと
ころにある。
 二階の窓からは西方に青々とした丹沢山塊が、秩父方面へと続いているのが眺められる。
天気がよければ富士山も鉢をふせたような顔を見せていて、朝起きたときの楽しみになっている。
 駅までの往復は出来るだけ歩くようにしているので、街の様子や店舗の名前など良く知っているのだが、このバス停「ワカクサダ
イ 」がなぜか出てこない。
 たまにバスを利用して、今日は思い出せるかな---------,一つ目、二つ目、三つ目、四つ目と・・・五つ目は出てこない。
前世で「ワカクサダイ」さんになにか恨みを買うようなことをしたのではないかと考え始めるほど、思い出せない。
考え始めれば考えるほど思い浮かばない、 頑固に出てこない。
天を仰いで・・・それでも出てこない。
いかにも窓の外をのんきに眺めるそぶりをしながら、頭の中では、自分が下車するバス停の名前の糸口を探して七転八倒してい
る。 そしていつも車内アナウンスに先をこされてしまう。  
  それがである。 ここ数日仕事中に、晴れて「若草台」が出てくるようになったのである。
度々思い出せるようになってきたのである。 軽い痴呆症なら努力次第で回復するのではないかとついでに思ったりしてる、
そんな余裕すら出てきた。
でもまだ安心立命の境地にはなれない。 自信がもてない。
一つ目、二つ目、三つ目、四つ目、五つ目・・・ほら、ヤッパリ、すっと出てこない。
南無若草台観世音菩薩合掌。

(2006/01/01)