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2006
2001


<2001>

冬の幹

 いつになく寒い 冬である。
ここ横浜でも毎日のように霜が降りて、公園の木々の根元や、敷石の間には霜柱が立っている。
霜柱は靴で けると、泥をかぶった歯ブラシのような白い氷の腹を見せる。
風に吹き寄せられた落ち葉の中では、羽を膨らませたすずめの群れが、せわしなく動き回って餌をあさ
っている。
はとのつがいは、桜の枝に留ったきりで先ほどから動こうとはしない。
ここのところ里に下りてきたオナガの群れが、啼き交わしながら流れていった。
冬とはいえ風が止まった朝の公園は結構賑やかなものだ。
樫、椎、モチ、ヒマラヤスギ、ヒイラギなどの常緑樹の落ち着いたたたずまい。
イチョウ、桜などの落葉樹は眠りながら春の光を待っている。
 私は散歩の道すがらこれらの樹幹に手のひらを当てて樹の「体温」を感じるのが楽しみになっている。
つるっとした木肌やざらざらしたもの、岩オコシのように大きくひびが入ったもの。
これら寒さの中に立つ樹木達の幹は、意外にも、わずかばかりの体温を持っているように感じられて仕
方がな い。 地下水の暖 かさなのだ・・・・といくら私でもよう言いませんが、とにかく冬空の中に立ち尽
くしているにもかかわらず 、これら樹木の幹は、一様に冷たくはない。
こんな不思議を体験するために、手袋をはずした右の手のひらをかざしながら公園のふちに沿って、
幹から幹へと渡り歩いている今日この頃です。         南無風邪大明神

(2001.12.31)

イチョウ並木
 駅から始まる歩道には、この街並みとほぼ同じくらいの、まだたいして太くないイチョウの並木が続

いている。

このところの寒さでイチョウの葉が散始めて歩道は明るく輝い

て見えている。

イチョウ並木の其の先には、桜の並木があって、サクラの名をつけたバス停やマンションまでもあるの

だが、イチョウ並木にはまだ其の名を使ったそれがない。

サクラはただ花を愛でるだけではなく、人生のあらゆるシーンにシンボルとして現れてくる。

たしか、私の小学校の制服のボタンも桜花のデザインではなかったかと思う。

  歩道に面した喫茶店に「イチョウ」なんてどうだろう、ネーミングとしてはそんなに悪くはないのでは

ないか。

  この先、仰ぎ見る程に伸びたイチョウが、秋にたっぷりと黄色の葉を落とすようになった頃、この街

で子育てをした、老夫婦が、遅れがちなつれあいをドア−の前で 振り返りながら、手招きしている。

そのころには、イチョウの並木もすっかり落ち着いて風情を増し、この街並みに溶け込んでいるだろう。

  そんな風景を思いながら、朝な夕な、この並木の下を足早に歩いている、結婚20年を迎えた私は、

いま人生の胸突きはっちょうにさしかかっている。

(2001.12.03)

 

カラスの「カー」
 横浜の自宅と世田谷にあるアトリエの往復に、片道約一時間。 

今朝はこの秋はじめてオナガの鳴き声を耳にしました。

声の主は深い屋敷林の中からで、その 姿は残念ながら確認できませんでした。

一羽なのか何羽なのかそれも判りませんでした。     でもオナガには間違いありません。

  日頃見慣れたり、聞きなれたりしているカラスはハシブトガラスとハシボソガラスなのですが、

一般的にハシブトガラスは澄んだにごらないような声で鳴き、ハシボソガラスはガーガーと濁ったよう

な声でなきます。

ところが個体差によって面白いほど、鳴き方に違いがあり、だいたいいつも同じ時におなじ場所でそ

の聞きなれた「声」を耳にすることが出来ます。

彼らには夜の付き合いも日祭日もありませんから、只お天道様だけをみて生きているわけですから。

そんな生活ですからほぼ規則正しい一日(と言うのかな)を送っているわけです。

  「カツカツカツカツカツ」と3連音符を並べたような妙ちくりんなカラスがいます。

モリシゲヒサヤが酔っ払ってうわごとを言ってるような「がーーーーア、がーーーーア」と誠に粘っこくきの

ない鳴き方をする奴もいます。

これらは首をまえに突き出して、何かの意思表示をしたり、他のグループとの小競り合いの最中に出

す鳴き声ではないのです。

  近頃は朝夕に耳慣れた声を聞くと「おツ、いるな」・・と、その声の主をいつのまにか探す始末です。

たかが「かー」のひとことだと思っていたのですが、たかが「かー」のひとことだけで人生(鳥生)何十

年(意外と長生きらしいのです)かを送れるスマートさに、日頃ボギャブラ不足を痛感している私は羨

ましく思ったりしている今日この頃です。  南無烏大明神

(2001/10/27)

 


秋めくということ           

 9月2日午後、試合先からグランドに戻ったところでモズの高鳴きを聞いた。  

この秋初めて耳にしたモズの高鳴きであった。

ほっとすると同時に反射的にスカイラインに沿って注意深く其の姿を探した。

しかしついに見つけることは出来なかった。

高鳴きもその一回きりだった。

大概は少し飛んで再び遠くに、あるいは近くに高鳴きを聞くことが出来るのだが、この時は一回きりだ

った。 

何を思っていたんだろう。

たった一回だけで縄張り宣言を止めてしまった。

  夕方近く、西の空半分に羊雲がひろがって秋の気配が一段と濃いものになってきた。

  朝シャンのシャワーで一瞬皮膚に緊張がはしったのは、皮膚の温度とお湯の温度差が大きくなっ

た為だろう、そしてバスルームにはもやがかってもいた。

脱衣室では体の乾きが速く、睡眠不足気味のボーとした頭には爽快このうえなくこ心地良よかった。

 そんなことを思い出しながらグランドから帰途に着いた。

車の時計に目をやると日暮れもずいぶんと早くなったもんだ。

一日中走り回った子供たちは、車のシートに深深と身を沈めて皆無口だ。

至福の時間を過ごしている子供たちのために車のスピードを少し落とした。   

                                               (2001/09/02)

 


この夏のセミ

 雨もままならぬこの夏、公園では木下などに直径1センチ程の縦穴が点々と目立ち始めた。

言わずと知れたセミの幼虫が這い出した穴である。

長い年月を土の中で暮らしてきて、ほんの短い成虫の時期を太陽の下で過ごす為のセミたちの硬い

産道なのである。

例年になく乾燥しきった今年の表土は硬かったろうが、地中で成熟した幼虫が樹幹で成虫に脱皮す

べく本能だけに導かれたかれらの行動は、只ただ上を目指して掘り進んだのであろう。

黒々としたその穴を見るたびに、ガラス細工のように無表情で停まり続けるセミの命の重さを考えずに

はいられなかった。

 今月15日の深夜、多くの子や孫達に見守られながら、私の父はこの世を去った。

窓の外の黒々とした林からカナカナカナとヒグラシの鳴く声が二度三度きこえてきた。

去年88歳、穏やかな別れであった。                       

  (2000/07/18)

 


梅雨明けはまだですか

   定刻に、工房に駆け込んできた出入りの運送業者が、奇妙なしかし安堵の声を発した。

 連日外を動き回っている彼らにしても、きょうの暑さは特別すごいのものらしかった。  

  夕方、適度にエアコンの効いた工房を出て、外気の心地よさを皮膚で感じつつ、裏道を駅へと歩い

 ていた。

 薄暗い桜の大木の下から突然、真夏の河原で聞くような「ジー」という虫の鳴き声が突然鼓膜を突き

 抜けて脳幹まで飛び込んできた。 

 この予期せぬ真夏の音に、いささか驚いていた。

 けだるいような帰宅時間に季節の移ろいを楽しむ気持ちが一気に吹っ飛んで、苦にもならなかった

 この暑さに思わず身構えてしまった。

 この種の虫の鳴き声は梅雨明けの後、猛烈な暑さに日本列島が悲鳴をあげる頃聞こえてくるのでは

 なかったか。

 そんなイメージなんだが、しかし、テレビの気象情報からは未だ梅雨明けの宣言はない。 

  そしてまた僕は、地球の生理がやはり変わったなと心の奥でむなしくつぶやいていた。  

  (2001/07/04)

 


特許許可局

 10日の朝、何時もより早めの散歩、小雨が降り始めてどんよりとした景色の向こうから、ホトトギス

 の鳴く声が 聞こえてきた。

 今朝は、まだスズメやハトも鳴きださない時間で、もっと近くで聞きたいとはやる気持ちを抑えながら

 愛犬と声のする方へ道路を横断して行った。

 声の主はどうやら丘の中腹に建てられた大きなマンションの裏に残された林の中かららしかった。

 「特許許可局」・・・「特許許可局」・・・ と間断なく聞こえていた。

 この鳥はおそらく旅の途中であったのだろう、聞こえてきたのはこの朝 だけであった。

 いい思いをすることがが出来たと思った。

  その後ここ2週間ほどはホトトギスと入れ替わりに、「カッコ−」・・「カッコ−」 ・ ・と良く鳴いる。

 最初の頃はどこかの目覚まし時計の音くらいにしか思っていなかったが、あまりに毎朝不自然に聞

 こえて来るので、この近所で「カッコー」の目覚し時計がはやってることでもあるまいと、いろいろ注

 意深く聞いていると、これも本物の鳥だと確認できた。

 この時期は、ほかの鳥の巣に自分の卵を産み付ける拓卵をしている最中なのだろう。

 なかなか上手くいかないのか、それとも余程しつこい達なのか、そんなに広くもない林で毎朝鳴いて

 いる。

 あの羽をだらっと下げたヒヨドリの姿にも似た カッコ−の鳴く様子を思い出す度に、始めて姿を見た

 遠い思い出が蘇ってくる。

  そしてカッコーが去って暑くなった今朝は、近くの公園でヒヨドリの巣を見つけた。

 それもカラスの雛が巣立ったばかりの同じ椎の樹にである。

 僕は,ヒヨドリのカップルは良く考えたなと、巣を作った場所にえらく感心してしまった。 

 ヒヨドリのカップルは、この直前まで子育てをしていて、いまは姿を消してしまった「カラスのカップル

 の威を借りた」巣つくりの場所だと思えたからである。

 雛の居る雑食性のカラスの巣に鳥たちは近づかないばかりか、一度運悪く目が合ったりするとしつ

 こく攻撃されるし、最悪の場合は餌食にされてしまうからだ。

 これでヒヨドリは安心して子育てできると云うことだ。

  あとは、公園で遊ぶ子供たちに見つからないように祈るだけだ。

 あさの散歩の秘密の楽しみが一つ増えた。

   ・・・その後何日かして、其の椎の木下に鳥の巣らしきものが散らかっていた。

     いつもとまっていた電線にもヒヨドリのカップルの姿はない・・・・

 

(2000/06/12)

はしり梅雨の頃

  霧に煙る奥多摩の山並みに向かって、週2回のペースで車を走らせて、もう三週間ほどにな る。 

 89歳になった父親が二年ぶりに肺炎で再入院したのである。

 数日前までは酸素マスクをつけられて荒い呼吸をしているだけの父であったが、今日見舞いに行っ

 た時は、特性の車椅子に座らされていた。

 其の上半身を起こした姿を見たときは驚きであった。 

 目が覚めているうちにと背中や足のマッサージをすると,肉がすっかり落ちて赤黒く異常に太い血管

 だけが、生への執念を思わせるような腕を伸ばしてマッサージの注文をしてくる。

 その気力を思うと嬉しい限りである。

 なんとか明るく会話を続ける息子にはウイットに富んだ受け答えもしてくる。

 今は驚くほどの探究心や記憶力は影をひそめてしまったが、頭の回転は衰えてはいないようだ。

  しかし,この日のドクターからは、未だに病状は進行しつつあるとショッキングなお話もあった。

 微熱が下がったということは、生体反応が鈍ったということだろうか,な

どと勝手に考えてしまう。

 それにしても父の様子からはそんな様子は微塵も感じとれなのである。

 そしてこの年齢になって、こうやって時折父との遠い思い出に浸りながらも傍にいることができる。

 神に感謝をしつつ。

(2001/05/31)

獅子舞 の歯

 歯科医との付き合いはかれこれ50年近くになる。

なに付き合いと云っても、虫歯に悩む患者としてのことだが。

 いまどきの子供たちときたら、歯医者に行くことが怖くはないらしい。

学校から帰宅して平気の平左で、歯科医の予約を母親に頼んでいる。

それを聞きながら僕は内心じくちたるものを感じていた。

  この4月になって、もともと悪かった歯が夜ともなると痛みだして、 これ以上歯が欠けてしまった

ら、50才代にしてもぐもぐとドテで 食を食むことになったらと一大決心をして、歯科の予約を取った。

2週間のうちに5回程通って、下あごの奥歯左右2本づつが入れ歯となった。

  これまでに入れ歯を使っている人から、入れ歯についての話を詳しく聞いた事もなかったし、 まし

て噛 み心地などまったく想像もしたことがなかった。

入れ歯を使い始めてまだ日も浅いが,噛み心地の悪さは想像を絶するものがある。

僕が元気なうちに入れ歯に慣れることなどないように思えてしまう。

入れ歯の噛み心地ときたら、まるで砂の混じった枯葉を噛んでるようで、2週間ほど経ったが,この不

快感は いまだに改善しない。

 18年ほど前,虫歯の治療をした時、この奥の歯はいまのうちに...と勧められたことがあった。

「将来、黄金の入れ歯でも考えますから」とかなんとか云ってその場をやり過ごし、それ以来そのま

まにしてあった歯であった。

気が付いたらいつのまにか歯並びは悪くなるし、笑うと唇がゆがんでしまう。

顔の筋肉が平均に発達していないのだ。

後悔は先に立たず。

この機会にしばらくは歯科医に通うことにした。

獅子舞の歯ようなイレバになってからでは、人に噛み付くのも様になるまいと思ったからである。               

(2001/5/1)

穏やかな朝

                         

  満開の花を着けた桜の木の枝先で、メジロのつがいが「ツーツー」と鳴き交わしながら 蜜を吸いつ

づけている。

明るい花の中ではうつくしいメジロも黒っぽく見えてしまってほかの小鳥と 見間違ってしまいそうだ。

大柄のヒヨドリも蜜を求めてきている。

桜にヒヨドリのとり合わせはあまり様にはならないと思えるが、そのくちばしを見る限りでは、細さと

いいそして長さといいメジロよりは都合がよさそうだ。

鼻ッ先を花粉で黄色に染めなくて済んでいる。

また、桜の根元にはムクドリの群れが只ひたすら地面を突っつきながらこれも楽しそうだ。 

キジバトのつがいは、子供たちが残した砂の山から巣づくりの材料を選んでいる。

その巣材を選ぶしぐさを眺めていると、何かの基準をもっているのだろういかにも賢こそうに思えてし

まう。

少し離れた樫の葉の茂みが揺れカラスのつがいが、くちばしには長い重そうな枝をくわえて、合い前

後して飛び出して屋根の向こう側へ下りていった。

こちらも仲良く巣材を運んでいる。

  ここ数年、気になっていた幾つかの鳥の巣が、人の住処の為になくなってしまった。

それでも毎年春になると鳥たちはめげずに巣を営んでいる。 彼らもまた人との縁が完全には断ち切

ルことが出来ないのだろう。                                    

                                             (2001年3月30日)


母親

 今年も、寒い寒いと言っているうちに、春の気配が漂い始めた。

例年なら、暖かくなったら・・・・何やかやと出来もしないことを想像してワクワクするのだが、この春は

ちっともそんな気分になれないでいる。

周囲からそんな会話が聞こえたりすると、余計に憂鬱になってしまう。

 ここ数年、両親の加齢による衰えが目立ち始めた。 

近頃、電話の向こうにいる母は、日を追うごとに、感情の起伏が小さくなってしまった。

今までだったら、数日も電話をかけないでいると、どうしていただとか、風邪でも引いていなかったか

だとか、頑張っているかなど、言葉の途切れるまもなく話し掛けてくる人だった。

そして息子と電話を通して話すことの喜びが、手にとるように伝わってきていたのにである。

それがここのところ、電話の向こうの母は、私の健康を気遣うわけでもなく、仕事のことを聞くでもなく

、父親との生活の話もまったくしなくなった。

そして母親の口をついて出る言葉から、なんの感情もみてとれなくなったのである。

ああ、そうそうと無感情のまま相槌を打つだけで、話が続かなくなったのである。

息子のことが何も気にならなくなったのである。

能面の面をした母が受話器を耳にあてて只そこに居ると云う具合になってしまった。

 幸いにして足腰はまだまだ丈夫で、父親との静かな生活を送っているが、やはり寂しい。 

もう母親との心の会話が出来なくなったのではないかと思えて寂しい。

それなのに私はたまに母親に会ったりすると、きつい言葉を投げてしまっている。

私にとっては、いつまでも息子の総てに気遣ってくれる母親であってほしいのである。

                                              

(2001年3月1日)


うたたね

       
  いつの頃からか,朝夕の通勤電車で、うたたねする習慣がついてしまった。

乗車駅から各駅停車に乗って、たかだか28分程で降りるのであるが、 乗車してから15分か20分、

本棚から適当に取り出してきてもうほとんどその内容を知っている本を、何の新鮮味もなく読んで

いるわけだが、それでも週に一度か、月に二〜三度かそれは判らないが、その本の理解が深まる

ことも有るので・・・そんなふうにして本を読み直している。

基より気合が入るわけはないのであるが、それでもただ習慣としてだけで読んでいる、網膜に活字を

流している。

読み始めて15分か20分もすると、眼球の奥が渋くなってくる。 とは妙な表現だが私にはその感じ

がぴったり当てはまるのだが・・・とにかく本を閉じて目をつぶってしまう。

この目を閉じた瞬間は、目の玉の奥に全身が吸い込まれて脱力していくようなここちで、なんともい

いようのない良いものなんである。

これが布団の中だったら最高だろうなと思えるほどのものなのである。

いやこういう感覚は電車の中でなければ味わえないのかもしれない。

たいていは両側に疲れた企業戦士が同じように座しており、お互いの肩が触れないように同じリズ

ムで同じように揺れているのである。

おれもおまえも疲れているんだよという 無言の連帯感かなにかが、このひとときの至福の時をもたら

すのかもしれない。

 ときとして、下車駅の一つ前の駅からでも、次の下車駅では目を覚ますぞという信念の基、目を閉

じる事があるが、ほんの数十秒のうたたねで前後不覚になるほど寝入ってしまうこともある。

電車が止まった気配でやおら立ち上がるまでは良いのだが、今止まった電車の進行進行方向はど

ちらなのか、左方向に進んでいたのか右方向に進んでいたのか、はたまた出口のある側が左側な

のか右側なのか、とっさに判らず慌てるのはこんなときなのである。      南無通勤電                                                                                                                

(2001年1月21日)

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