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1999

<1999>

魚拓

 私が、夕食のテーブルに付くやいなや、小学校の息子が、今日の釣果についてしゃべりはじめた。

しかけやその魚とのやりとりを微に入り細に入りの説明で、私に箸を使わせない程である。

今日はウイークデイで遠出は出来なかったはずなのにすごい勢いである。

そして、魚拓までも作ったと、床の上に紙を並べ始めた。

一枚二枚三枚・・・ 6 8センチのスズキだと云うのだ。

ここまできてやっと私は合点がいった。

そういえば昨日トレーニングのご褒美にと、今夢中になっている魚釣りのCD-ROMを買い

与えていたのだった。

しばらくして息子は食事にもどった。

 喜々として話す息子を看ながら、私は今話題のペットロボットや介護ロボットの事が思えて仕方が

なかった。

 当惑気味の私の様子に気が付いたのか、「ノブは今度の冬休みに、パパと海釣りにいくのを楽しみに

しているわよ」笑いながら看ていた妻が声を掛けてくれた。

私は妻の言葉に助かったと思った。                     

こんな思いをするのは私だけであろうか。 

(’99/12/26)

セキレイ

 いつもの時間に玄関を出る。

今朝は落ち葉の量が少ないなと思いつつ、階段に張り出した枝を見上

げた。   まだまだ紅葉した葉が沢山残っている。

昨夜は快晴無風だったのだろう。

でも今朝の空は西の方から絹雲が静かに流入している。

その流れに逆らうようにジェット機の機影が一つ。

広がった絹雲の乱れはない、航路の方が少し低そうだ。

公園のテーブルの上に忘れられたこどものグローブが一つ。

手に取ってみると濡れていてとても重い。

木のテーブルにはグローブの黒い影が残った。

指先でテーブルをこすってみた、すると白い粉が指先にたまった。

霜が降りていたのだ。 初霜だ、広場には背黒セキレイの幼鳥が長い

尾を振りながら、小走りに走って餌をさがしている。

河原の小動物がいなくなるこの時期決まって街中まで行動範囲を広げ

しかも人を恐れずに近ずいてくる。

毎年冬に看られる光景だ。

 子供の頃セキレイのことをイシタタキと聞いた事が有る。

河原を石伝いに飛ぶ姿からして言い得て妙である。

 今日から師走、気を引き締めて年の瀬を迎えようと思う。

(’99/12/01) 

自然のままがいい

 いまどきの通勤電車の中で、髪のうすい中年男性 をとんと見なくな

った。

朝夕の通勤で座席の前に立ち、それとなく観察してみても、らしき髪に

気が付くことはほとんどなくなった 。

ここ数年で中年男性の髪が濃くなったと云うニュースも私は聞いたこ

とがない。

この事はカツラや何とか増毛方とかが 、世の中年男性の切なる期待

に答えて、急速の進歩を遂げた証に違いない。

 髪なんて年齢相応がよろし、年齢なりの髪の姿こそ大人の貫禄の一

つだ。

僕はカツラや そんなもん全く興味ないね、自然が一番だよ 自然が・・

・と顎をしゃくり気味に公言していた。

 だがしかし、昭和20年生まれの僕も寄る年並みに勝てず頭髪の更

新がままならぬ齢となって 、風呂場の鏡の前でしばし佇む時間が多く

なってきた。

・・・フン・・・、やはり自然のまま、自然で・・・。 

日々弱気になっていく気持ちに向かって、気合いを入れていたのだが

・・・まったく。

 気が付いてみると、この春新発売されて評判の****を毎朝毎

晩風呂あがりの頭めがけてまき散らし、黒々とした髪の自分を、湯気

で濡れた鏡の向こうに探していました 。

イヒッ!

 (1999年11月18日)

砂場

 公園に入るとすぐ小さな砂場がある。

朝の砂場はきのう子供たちが遊んだなごりが残されていて、これを観

るのが愛犬との朝の

散歩の楽しみの一つでもある。小さな靴痕や、土まんじゅう、砂に刺さ

ったままの草や葉っぱ、小さな手で掘った穴ぼこ等々。

 でも今朝は少し驚いた、小さな砂場の中央に二つの大きなデコレー

ションケーキがまだ壊されずに残っていた。

キンモクセイの小さい花を一面に蒔いたものと、モチノキの実を散りば

めたものが、よくまあ何者にも壊されずに。

 子供たちが何を話しながらすばらしい時を過ごしたのだろうか。そし

てその夜はどんな夢を見たのだろうか。

今朝は、私までもそのすばらしい時を分けて貰った様な気がした。

           

 

 (1999年10月25日)

秋めくと云うこと


 何日か前、朝のバスルームにうっすらともやが掛かっているのに気

が付きました。

昨夜は少し冷えたんだなと思いながら、いつものように髭をそっていま

した。

すると、小さく開いたバスルームの窓から、モズの鳴き声が聞こえてき

ました。

 もしやと思い公園に行ってみる事にしました。

案の定、暗緑色の椎の木には、銀ネズ色の実がたわわに付いていま

した。

 こんな時季になると、あの永く暑かった夏の日も、遙か彼方に思えて

しまいます。

そして、私は毎年決まったように気持ちの落ち着かない日々をすごす

ことになります。

それは、遠い昔の自由気ままな暮らしの残像を、未練たっぷりに辿り

ながら、

ノスタルジーに浸かってしまう性癖が顔を出してしまうからです。

そんなとき私は、もうけっして後戻り出来ない時間の流れに竿を差しな

がも、つかの間の甘美なゆめの中へ入っていってしまうのです。


 (1999年10月1日) 

モチの木

  近くの公園に一本の「モチの木」があります、ちょうど四弁の小さな

花が咲き終わったころです。


 子供の頃、この木をなんと呼んでいたかは覚えていませんが、この

木の皮を剥いで「トリモチ」をつくった事を覚えています。

 「 当時の男の子は、ズボンのポケットに細いひもでグルグル巻きにし

た肥後の守を 持って いました。

  その肥後の守で木の枝を切っては鳥を捕る罠を仕掛けたり、ゴム銃

を作ったり、竹を切っ て弓矢や笛、竹トンボ、凧とありとあらゆるものを

小刀一つで作ったものです。  

  モチの木の根本にひざまずいて両の手のひらに一杯、皮を剥いだら

水辺の平らな石の 上にその皮を置いて拳大の石で 叩いて潰します、

緑色の汁と青臭い匂いをそこいらじゅうに 飛ばしながら叩いていると

粘りが出てきて、丁度、ヨモギ団子のような感じになります

  こ の粘る団子には、繊維カスが混じっていますので、水に浸けて延

ばすようにして、このカスを洗い流します。

 繊維質の滓が取れた団子は 粘着力の強い緑色のガム状に仕上が

ります。

これを水を張った小瓶に落としたり、口の中にふくんだり、濡らした椿

の葉に挟んで持ち帰ります。
 
 当時、薬屋でも水を張った壺の中に浮かせて売っていたように思い

ます。 子供でも買える値段でした。

 トリモチと輪切りにしたみかんを持って、谷の奥まで行ってメジロを捕

る場所を選びます。

 谷のあちこちで鳥達の鳴き交わす声が響きます。

お目当てのメジロのいる方向を決めて、輪切りにしたみかんを枝にさします。 

メジロが、鳴き真似を聞いて、鳴き声のきこえる方へと、枝葉に隠れな

がら、渡ってくるコー スを読んで、そのコースに、一本のトリモチを貼っ

た枝を出して置きます。

私は、鳥が伝い降りてくるコースの反対側に、隠れて(別に姿を隠す必

要も無かったけどそ の時々に併せてメスやオスの鳴き真似をします。

 後は、メジロがみかんを見つけて、トリモチの付いた枝に留まれば、

走って行って、枝からメジロを 注意深く外します。                              

 (1999年7月)

机上の黒いストレンジャー

 

 工房の無機質で埃っぽい机の上に、小さな黒い塊が、スースーと動

いています。

毎年、今の時期に決まって現れる、小さいハエトリグモです。

 「おっ、今年も現れたな」、でも最初は知らぬ顔をして仕事を続けます。           

そのクモは暫くの間机上にとどまり、いつの間にか姿を隠してしまいま

す。    

そして次に現れた時、クモのほうも少し油断をしているようすをみせま

す(たぶん)。

この時はルーペ持ってクモを観察にかかります。

 すると、気配を感じたクモはクルッとこちらに向き直り、複眼の並んだ

大きな頭と前の足を グッともちあげます。 こんな時、一塊りのクモの

体にも「首?」が有ったのかと驚かされます。

 ルーペで覗くと不思議な配置で並んだルビー色の眼が光っています。

この八つの複眼を持っている「はえとりグモ」は、モザイクの画像を一

つに結んで私を見てい ます(たぶん)。

 クモはどうしてこんな複雑な構造の眼に進化せねばならなかったの

だろうか?

エサを捕ったり、ジャンプして動き回ったりするのには、眼は頭の前に

左右一個ずつあれば 必要且つ充分だと思うのに。
 
なのに、なぜクモは八つににも彼らの眼を分けてきたのだろうか?

たとえば、徘徊性のクモは動くエサを獲るために視力が良くなければな

らない。

そのためには眼球を大きくする必要が有る。大きくすると体に収まりき

れない。

そこで大きな視力を確保して、且つ小さくしなければならなかったため

に仕方なく 複雑な構 造にした。

      ・・・・なんて想像してみました。 あなたはどう思いますか?

(1999年4月24日)

花の終わりの頃

 毎朝歩く近くの公園。常緑樹の下、むき出しの土に小さな緑色の草

の芽が顔を出し始めました。

普段はかくれんぼの子供たちだけしか通らないような樹木の下や、フ

ェンス沿いの狭い隙間を、腰を折ったり、上体をひねったりしながら愛

犬の後ろを付いていきます。 

そんな土のあちこちに緑の芽吹きが始まっていました。

この公園の桜は、先週末の雨で殆ど散ってしまい、枝先には放射上に

伸びた赤いガクが花の数だけ残っています。若葉が伸び出した枝も日

毎に増えてきました。  

灰色の雲が空一杯に広がったこの時季の桜は、花の名残の赤い

ガクと散り残った淡い桃色の花びら、それに萌え始めた若葉が、一本

の太い幹から配置よく灰色のキャンバスに広がり、朝の淡い順光の中

で眺めると、まるで金糸や銀糸までも織り込んだ、それは豪華な錦絵

のようにも思えてきました。

 今朝は、春の臭いにじっとしていられない愛犬を制止しながら、静か

な眺めを楽しんできました。

 (1999年4月)

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